和達知男「眼鏡をかけた自画像」(1923)


 1923(大正12)年に描かれた和達知男(1900-1925)氏作の「眼鏡をかけた自画像」です。和達知男氏は以前に紹介した村山知義氏と開成中-一高-東京帝大と同級生で、村山氏より一足先に1921(大正10)年にベルリンに留学しています。1923年に帰国後ほどなく25才の若さで夭折しました。
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雑誌「NIPPON」1號(1934)


 1934(昭和9)年発行の対外宣伝雑誌「NIPPON」第1号(日本工房/内閣情報部)です。表紙の写真は渡辺義雄さん撮影、デザインは山名文夫さん構成です。渡辺義雄(1907-2000)さんは1928(昭和3)年に東京写真専門学校卒業後、オリエンタル写真工業にエンジニアとして入社し、その後宣伝部にカメラマンとして所属し、ライカを使った都市生活のスナップショットで有名になりました。フリーになって日本工房に参加、建築写真を多く撮りましたが東京大空襲で全てのネガとプリントが失われました。戦後も巨匠写真家として、また後進の指導者としても活躍しました。

山村耕花「踊り 上海ニューカルトン所見」(1924)

山村耕花「踊り」

 1924(大正13)年、山村耕花氏作の版画「踊り 上海ニューカルトン所見」の絵葉書です。山村耕花(1886-1942)さんは大正〜昭和初期にかけて活躍した版画家/浮世絵師です。ニューカルトン"New Carton"は上海に戦前あったクラブです。

広告「おもかげ "Casta Diva"」(1936)

おもかげ

 1935(昭和10)年にイタリアで製作され、1936(昭和11)年に日本でも公開された映画「おもかげ "Casta Diva"」(カルミネ・ガローネ監督、チネス・ピッタルーガ製作)の広告です。写真はハンガリー出身の主演女優マルタ・エゲルト(Marta Eggerth)(1912- )さんです。映画「未完成交響楽」にも出演しています。テノール歌手の夫のメトロポリタン歌劇場デビューに伴い1938(昭和13)年に渡米し、戦後もアメリカとヨーロッパで活躍しています。

雑誌「スタアの1番」(1936)

スタアの一番

 1936(昭和11)年に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)です。表紙は伊藤龍雄氏の絵による「シーンパーカーに似た娘」です。伊藤龍雄氏は挿絵画家として戦前戦後と活躍しておりましたが、プロフィールは判りませんでした。

映画スチル「キャラコさん」(1939)

キャラコさん

 1939(昭和14)年公開の日活映画「キャラコさん」(森永健二郎監督)のスチル写真です。写っているのは山本嘉一さんと轟夕起子さんです。山本嘉一(1877-1939)さんは川上音二郎一座に所属し、アメリカ公演などに参加した後、日活向島に入社し、1917(大正6)年に映画デビューしました。その後様々な映画に様々な役柄で出演し、名バイプレーヤーとして活躍しました。この映画公開直後に62才で急死しています。「キャラコさん」は久住十蘭(1902-1957)氏が同年に雑誌「新青年」に連載した同名小説を原作としています。

広告「花王シャンプー」(1935)

花王シャンプー

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」の裏表紙にあった「髪洗ひ/花王シャンプー」の広告です。花王石鹸株式會社長瀬商會から1932(昭和7)年に日本で初めて発売された固形のシャンプーです。マッチ箱のような箱に入っていて手ですりつぶして使うようです。「御洗髪は一週一度!/汚れを落すと共に独得の美髪剤が作用いてお髪をしつとりと艶やかにする花王シャンプーです」。今の感覚だと洗髪が週に一度は少なすぎないですかね。

雑誌「日の出八月號附録グラビア:山路ふみ子」(1935)

山路ふみ子

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のカラー折り込みグラビア頁より山路ふみ子さんです。カラー印刷の技術は発達してきており、この頃既に表紙もグタビアもオールカラーです。元の写真がカラーで撮られていたかは判りませんが、既にカラー写真もフィルムも存在しています。

雑誌「日の出八月號附録グラビア:桑野通子」(1935)

桑野通子

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のカラーグラビア頁より桑野通子さんです。記事より「ミッチー桑野は今や蒲田第一線の花形である。洋装のヴアムプ型によく、和装の令嬢によい。冷やかな美しさが彼女の個性を生かす。特異な娘型だ。」

雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」(1935)

日の出昭和十年八月号附録

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」です。表紙は高杉早苗さんです。雑誌「日の出」は1932(昭和7)年に新潮社から創刊された大衆雑誌で、1924(大正13)年に創刊されていた講談社の大衆雑誌「キング」の成功(月100万部超!)に触発されて、「キング」の編集者を引き抜いて創刊した雑誌でした。昭和戦前期はこのような大衆娯楽雑誌が大変流行しました。この附録の中身は映画女優の水着グラビアやスチル写真、ゴシップ記事、新作紹介、映画批評などなかなかなボリュームです。

映画スチル「居候は高鼾」(1939)

居候は高鼾

 1939(昭和14)年公開の松竹映画「居候は高鼾」(清水宏監督)のスチル写真です。写っているのは上の写真が左から大山健二さん、近衛敏明さん、高峰三枝子さん、夏川大二郎さん、日守新一さん、下が川崎弘子さんです。川崎弘子さんの顎の下にあるのは学生帽です。

広告「スマイル(Dorothy Jordan)」(1931)

Dorothy_Jordan

  1931(昭和6)年発行の雑誌「映画之友」九月號の裏表紙にあった広告「一歩進んだ・新しい眼薬スマイル」(玉置合名社)です。モデルはハリウッド女優のドロシー・ジョーダン"Dorothy Jordan"(1906-1988)さんです。広告に曰く「清新で輕快で/プレンソーダのやうにフレツシユな/近代女性!/明るくて朗らかで/青空のやうに清澄な/スマイルの瞳!/何といふ素張しい/コントラストだ/何といふ鮮烈な魅惑だ/(一滴の清澄と魅惑美はあらゆる美容を超越し一滴の藥効は充血と眼疾を除く。スマイルの存するところ人の世は朗らかに明るい)」。玉置合名社とスマイルについては以前ご紹介した通りです。

雑誌「映画之友(昭和六年九月號)」(1931)

澤蘭子

 1931(昭和6)年発行の雑誌「映画之友」九月號です。表紙は澤蘭子さんです。澤蘭子(1903-2003)さんは寳塚歌劇団花組娘役出身で1923(大正12)年に日活向島から映画デビューするも関東大震災のため帝國キネマ芦屋に移籍、日活京都を経て1931(昭和6)年に松竹に移籍しました。この表紙は丁度その頃の姿になります。その後、指揮者の近衛秀麿(1898-1973)氏と愛人関係になり、渡欧に同行し近衛氏との間に娘をもうけますが、ドイツの敗戦に伴いシベリアに抑留され娘を病気で失います。ちなみに近衛氏は外交特権で単身帰国してしまい、そのことをかなり恨んでいたようです。

映画スチル「新しき翅」(1938)

新しき翅

 1938(昭和13)年公開の松竹映画「新しき翅」(佐々木啓祐監督)のスチル写真です。写っているのは夏川大二郎さん、佐野周二さん、高峰三枝子さんです。原作は片岡鉄兵さんの同名小説です。片岡鉄兵(1894-1944)さんは慶應大学中退後記者をしながら作家活動を行い、新感覚派の一員として活躍しましたが、昭和初期より左翼活動にのめり込み1932(昭和7)年に逮捕投獄され、転向声明を出して出獄後は主に大衆小説を書いていました。丁度その頃の作品で他に「朱と緑」などがあります。1944(昭和19)年に肝硬変の発作により50才の若さで亡くなりました。

広告「一歩進んだ・新しい眼藥スマイル」(1931)

スマイル2

 1931(昭和6)年発行の雑誌「映画之友」八月號の裏表紙にあった広告「一歩進んだ・新しい眼藥スマイル」(玉置合名社)です。モデルの女優さんは伊達里子さんです。広告に曰く「一滴は…/眼の休息心の喜び/また、一滴は…/瞳の輝き、生活の美化/ミス・スマイルに榮光よあれ!」玉置合名社とスマイルについては以前ご紹介した通りです。伊達里子(1910-1972)さんは1927(昭和2)年文化学院中等部卒業後、1929(昭和4)年に松竹に入社し、映画デビュー。この1931(昭和6)年には日本初のトーキー「マダムと女房」に出演し、田中絹代に対抗するモダンなマダムを演じました。

「寳塚少女歌劇脚本集」第七拾六號(1927)

寳塚少女歌劇脚本集

 1927(昭和2)年4月発行の寳塚少女歌劇脚本集第七拾六號(寳塚少女歌劇團發行)です。この四月雪組公演は、1.お伽歌劇「青い眼のお人形」、2.歌劇「彌彦獅子」、3.喜歌劇「エレベーター」、4.歌劇「熊野」、5.バレー「春のおどり」の五演目です。まだ派手なレビューが定着する前ですが、公演のトリは既に恒例の「春のおどり」です。

映画スチル「花嫁かるた」(1937)

花嫁かるた

 1937(昭和12)年公開の松竹映画「花嫁かるた」(島津保次郎監督)のスチル写真です。写っているのは上原謙さんと高杉早苗さんです。上原謙(1909-1991)さんは立教大学在学中に松竹の公募に勝手に友人に応募されて合格し、1935(昭和10)年に卒業後松竹に入社、映画デビューしました。翌年女優の小桜葉子さんと結婚し、その翌年には後の加山雄三さんが生まれます。上原さんは二枚目俳優として戦前戦後を通して人気を博しました。

広告「花王石鹸合成洗剤エキセリン」(1939)

花王エキセリン

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號附録裏表紙の広告「合成洗剤エキセリン」(花王石鹸株式會社)です。花王石鹸のロゴである三日月が1925-43年まで使われた下弦の月の老人顔のものです。後にこれから欠けていく下弦の月は縁起が悪いからと上弦の月に代えられました。

主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」(1939)

春の新型編物と流行服の作方

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」です。表紙は高峰秀子さんと江川和子さんです。

映画スチル「愛情部隊」(1939)

愛情部隊

 1939(昭和14)年公開の松竹映画「愛情部隊」(佐々木康監督)のスチル写真より、主演の高峰三枝子さんです。この映画の原作は芥川賞作家で画家でもある冨澤有爲男(1902-1970)さんの同名の小説で1938(昭和13)年に発表されています。

広告「高級新美眼藥スマイル」(1931)

スマイル玉置合名社

 1931(昭和6)年発行の雑誌「映画之友」5月號の裏表紙にあった広告「高級新美眼藥スマイル」(玉置合名社)です。女優さんは雑誌の中でクイズになっていましたが、夏川静江さんです。広告に曰く「眼を美しく輝かす高級新美眼藥スマイル/近代風景を彩る寳玉の瞳の蔭に何があるか − 謎は …(彼氏のポケットの中だ/彼女のケースの中だ) そこに、銀帽茶色の小人が隠れてゐる − 魔術師スマイルだ!」。玉置合名会社は後に玉置製薬となり、1972(昭和47)年よりライオン(株)の一部門です。「スマイル」は現在もライオン(株)より目薬のブランドとして販売されています。

雑誌「映画之友(昭和六年五月號)」(1931)

映画之友1931/5

 1931(昭和6)年に発行された雑誌「映画之友」5月號です。表紙は高尾光子さんが野球選手の格好をしています。まだこの頃はプロ野球リーグが設立されておらず、東京六大学などの学生野球が庶民の人気を集めていました。この年初来日したアメリカ大リーグ選抜と交流戦をします。高尾さんが着ているユニフォームは1928(昭和3)年のアムステルダムオリンピックの日本選手が付けていたエンブレムを袖に付けたオリジナルユニフォームだと思いますが、サイズがあっていませんね。高尾光子(1915-1980)さんは1921(大正10)年に満5才で子役として日活向島に入社し、映画デビュー、その後松竹蒲田に移り、子役として多数の映画に出演します。この写真の時はまだ16才です。その後松竹下賀茂に移って時代劇の娘役で多くの出演をしますが、1937(昭和12)年21才で映画界を引退し、演劇界に移りました。

映画スチル「月形半平太」(1934)

月形半平太

 1934(昭和9)年公開の松竹映画「月形半平太」(冬島泰三監督)のスチル写真です。数ある月形半平太映画の中でも最初のトーキー作品です。写真は林長二郎さんと及川道子さんです。「月形半平太」は幕末土佐藩の志士、武市半平太(1829-1865)をモデルとした行友李風(1877-1959)氏作のオリジナル戯曲で、1919(大正8)年に京都明治座で初演されました。「月様、雨が…」「春雨じゃ、濡れてまいろう」の名セリフで新国劇の看板演目となり、また多数映画化されました。

絵葉書「忠海高女縣立移管祝賀陸上体育総演習會」(1923)

広島県立忠海高女運動会

 1923(大正12)年に開催された「忠海高女縣立移管祝賀陸上体育総演習會」の絵葉書です。忠海高等女学校は現在の広島県立忠海高校の前身の一つで、1903(明治36)年に豊田郡立豊田女子技芸学校として創立され、1920(大正9)年に豊田郡立豊田高等女学校に改組され、1923(大正12)年に広島県に移管され、広島県立忠海高等女学校となりました。その後は戦後の学制改革で忠海東高校となり、1949(昭和24)年に男子校の忠海西高校と合併し、現在の忠海高校となりました。

主婦之友附録「夏の流行婦人子供服の作方」(1939)

主婦之友附録

 1939(昭和14)年に発行された雑誌「主婦之友」六月號附録「夏の流行婦人子供服の作方」です。表紙は高峰秀子さんと八田眞子さんです。中は沢山の作例が型紙付きであり、当時は洋服を自家製にすることも多かったようです。

映画スチル「純情二重奏」(1939)

純情二重奏

 1939(昭和14)年公開の松竹映画「純情二重奏」(佐々木康監督)のスチル写真です。松原操さん、高峰三枝子さん、木暮実千代さんが写っています。歌のシーンでは淡谷のり子さん、二葉あき子さんも出演しています。

絵葉書「鳥取縣立鳥取高等女學校秋季大運動會」(1930)

鳥取高女秋季大運動会

 1930(昭和5)年10月14日に開催された鳥取県立鳥取高等女学校秋季大運動会の絵葉書です。上はバレーボール(補習科対四年生)下は学年対抗百メートル走決勝の様子です。戦前はカメラが高価で普及していなかったため、プロの写真屋が学校行事などを撮影し絵葉書化して配布することが普通でした。面白いのは皆さん制服のままでスポーツをやっていること、つまりまだ体操着がないようです。和服に比べたらよっぽど動き易いのでしょう。この女学校は現在の県立鳥取西高校の前身の一つです。

雑誌「演藝と映画」(1933)

演芸と映画

 1933(昭和8)年に発行された雑誌「演藝と映画」五月號(歴史寫眞會刊)です。表紙は同年公開の松竹映画「十九の春」(五所平之助監督)より主演の伏見信子さんです。雑誌「演芸と映画」は1926(大正15)年に歴史写真会から創刊されたカラーグラビアを含むグラフ雑誌です。伏見信子(1915- )さんは新派の俳優の娘として生まれ、小学生の時に姉の伏見直江さんとともに帝國キネマに入社し、日活大将軍に移籍後に同志社女学校高等女学部に入学し、学校に通いながら映画に出演していました。卒業後、松竹に移籍しこの映画の主演で人気女優となりました。1947(昭和22)年まで映画女優として活動しました。

映画スチル「幽靈大いに怒る」(1942)

幽霊大いに怒る

 1942(昭和17)年公開の松竹映画「幽霊大いに怒る」(渋谷実監督)のスチル写真です。左から坂本武さん、高峰三枝子さん、吉川満子さんです。坂本武(1899-1974)さんは尋常小学校卒業後大阪の時計店で働いていましたが、1921(大正10)年に大衆演劇の旅回りの一座に入りましたが、一座は解散したため松竹に入社し、1925(大正14)年に映画デビューしました。小津安二郎監督作品に良く出演し、いわゆる「喜八」シリーズでは主役の喜八を演じました。

雑誌「新映画」(1939)

新映画

 1939(昭和14)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)九月號です。表紙を飾るのはMGMからデビューしたばかりのLaraine Day(1920-2007)さんです。新映画は1931(昭和6)年に後藤藤五郎さんにより創刊された雑誌です。編集者は荒木誠太郎さんとありますが、これは南部圭之助(1904-1987)さんの本名で雑誌「スタア」などを創刊した著名な映画雑誌編集者です。当時の新映画社はスタア社と住所が同じですので同一場所で同じ人が別の雑誌を編集していたようです。
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