雑誌「NIPPON」1號(1934)
山村耕花「踊り 上海ニューカルトン所見」(1924)
広告「おもかげ "Casta Diva"」(1936)
雑誌「スタアの1番」(1936)
映画スチル「キャラコさん」(1939)
広告「花王シャンプー」(1935)
雑誌「日の出八月號附録グラビア:山路ふみ子」(1935)
雑誌「日の出八月號附録グラビア:桑野通子」(1935)
雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」(1935)
映画スチル「居候は高鼾」(1939)
広告「スマイル(Dorothy Jordan)」(1931)
雑誌「映画之友(昭和六年九月號)」(1931)
映画スチル「新しき翅」(1938)
広告「一歩進んだ・新しい眼藥スマイル」(1931)
「寳塚少女歌劇脚本集」第七拾六號(1927)
映画スチル「花嫁かるた」(1937)
広告「花王石鹸合成洗剤エキセリン」(1939)
映画スチル「愛情部隊」(1939)
広告「高級新美眼藥スマイル」(1931)
雑誌「映画之友(昭和六年五月號)」(1931)

1931(昭和6)年に発行された雑誌「映画之友」5月號です。表紙は高尾光子さんが野球選手の格好をしています。まだこの頃はプロ野球リーグが設立されておらず、東京六大学などの学生野球が庶民の人気を集めていました。この年初来日したアメリカ大リーグ選抜と交流戦をします。高尾さんが着ているユニフォームは1928(昭和3)年のアムステルダムオリンピックの日本選手が付けていたエンブレムを袖に付けたオリジナルユニフォームだと思いますが、サイズがあっていませんね。高尾光子(1915-1980)さんは1921(大正10)年に満5才で子役として日活向島に入社し、映画デビュー、その後松竹蒲田に移り、子役として多数の映画に出演します。この写真の時はまだ16才です。その後松竹下賀茂に移って時代劇の娘役で多くの出演をしますが、1937(昭和12)年21才で映画界を引退し、演劇界に移りました。