中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」(1930)
映画スチル「はだかの合唱」(1936)
雑誌「アサヒカメラ」(1938)
映画スチル「素晴らしき哉彼女」(1939)
吉屋信子著「伴先生」(1940)
映画スチル「いたづら小僧」(1935)

1935(昭和10)年公開のP.C.L.映画「いたづら小僧」(山本嘉次郎監督)のスチル写真です。写真は左から英百合子さん、宮野照子さん、大村千吉さん、伊藤薫さんです。スチル裏に映画のタイトルを図案化したスタンプが押してありました。タイトルが日本映画データベースと違っているのですが、どちらが正しいのでしょうか。英百合子(1900-1970)さんは呉市立高等女学校在学中に旅芸人を追いかけて出奔、その後東京で浅草の少女歌劇に参加し、そこから小山内薫氏の松竹キネマ研究所に参加、「路上の霊魂」で女優デビューしました。その後映画界を点々とし、1933(昭和8)年からP.C.L.に入社しています。戦後は老け役として活躍しました。
吉屋信子著「櫻貝」(1935)

1935(昭和10)年に實業之日本社より初版が出版された吉屋信子著「桜貝」の表紙です。ただこの書影は1941(昭和16)年刊の第44版です。「櫻貝」は1931(昭和6)年に雑誌「少女之友」に中原淳一さんの挿絵で連載された物でした。吉屋信子(1896-1973)さんは栃木高等女学校在学中から少女雑誌や文学雑誌に投稿を始め、卒業後は小学校の代用教員をしていましたが、作家を夢見て上京、1916(大正5)年に雑誌「少女画報」にて「花物語」を発表し、一躍人気作家となりました。独特の美文調と当時の少女の心をとらえたストーリーで少女小説の興隆と後の少女漫画への流れを作り上げました。戦後は長編時代小説で文学界に認められる作家としての地位を確立しました。
映画スチル「入婿合戰」(1936)
絵葉書「中山秋季競馬會日割」(1930)
「京都市外太秦日活撮影所現代劇女優化粧室」(1929)
雑誌「NIPPON」(1936)
映画スチル「阿修羅姫」(1941)
広告「ニットーレコード」(1928)
雑誌「芝居とキネマ」(1928)
映画スチル「歌ふ狸御殿」(1942)
雑誌「映畫世界」(1927)
映画スチル「妹の告白」(1935)
雑誌「主婦之友」(1937)
映画スチル「婦系圖」(1934)
雑誌「少女の友」(1939)
映画スチル「ハナ子さん」(1943)
カメラカタログ「ZeissIkonCameras」(1929)
映画スチル「高原の月」(1942)
村山知義著「プロレタリア映画入門」(1928)
映画スチル「十日間の人生」(1941)

1941(昭和16)年公開の松竹映画「十日間の人生」(渋谷実監督)のスチル写真です。上は田中絹代さんと飯田蝶子さん、下は主人公の船長役の井上正夫さんです。原作は八木隆一郎(1906-1965)さん作の「海の星」で井上正夫さんが主催する「中間演劇」(新派ほど俗っぽくなく新劇ほど高踏的でない演劇)のために書かれた脚本です。井上正夫(1881-1950)さんは新派劇の俳優でしたが、改革を目指し女優の起用や映画への進出(衣笠貞男監督の「狂った一頁」に出演)や、日本最初のラジオドラマ制作に関与し、戦前期の演劇の改革に深く関わりました。1936(昭和11)年から「中間演劇」を目指した「井上演劇道場」を立ち上げ多くの俳優を育てました。
チラシ「國産愛用懸賞寫眞募集」(1937)
映画スチル「暁の合唱」(1941)

1941(昭和16)年公開の松竹映画「暁の合唱」(清水宏監督)のスチル写真です。左が佐分利信さん、右は川崎弘子さんです。ちなみに主演は木暮実千代さんです。原作は石坂洋次郎さんの同名小説です。石坂洋次郎(1900-1986)さんは弘前中学から慶応義塾国文科に進学し、卒業後は弘前高女、横手高女、横手中学の教員を勤めました。横手中学の教員時代に小説「若い人」が大ヒットしましたが、内容を右翼から攻撃されたため1938(昭和13)年に教員を辞めざるを得なくなり作家となりました。「暁の合唱」はそんな頃に書かれた作品で、最初は朝日新聞に連載する予定でしたが、予告がなされた時点で右翼からの圧力により掲載中止、その後主婦之友が引き受けて1939-1941年の間連載されました。