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カメラ用品カタログ「田村製品御案内」(1929)

田村日進堂

 1929(昭和4)年発行のカメラ用品カタログ「田村製品御案内」です。発行元は横浜に本店を持つ田村日進堂の東京支店です。住所が東京市下谷区西町で西町電停際だそうですが、現在の台東区東上野の春日通り沿いだと思われます。
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映画スチル「花は僞らず」(1941)

花は偽らず

 1941(昭和16)年公開の松竹映画「花は僞らず」(大庭秀雄監督)のスチル写真です。写っているのはタイピスト役の水戸光子さんとお嬢様役の高峰三枝子さんです。水戸光子さんが着ているスモックは当時一般的な女子事務員の制服で、前に紹介した「静かなる晩餐」でも三浦光子さんが着ています。原作は藤沢恒夫さんで、男女間の切ないすれ違いを描いています。

カメラカタログ「Fothflexフォスフレックス」(1936)

フォスフレックス

 1936(昭和11)年のカメラカタログ「フォスフレックス」です。Foth社はドイツのベルリンに1926(大正15)年に設立された会社で、日本では浅沼商會が輸入代理店でした。なぜか作例が桑野通子さんです。Foth社はドイツ製ですが比較的安価なカメラを多数製作し、1940(昭和15)年まで存続していました。Fothflexは120ロールフィルムを6x6サイズで使うカメラで、二眼レフには珍しくフォーカルプレーンシャッターを採用しています。

映画スチル「幸福な家族」(1940)

幸福な家族

 1940(昭和15)年公開の松竹映画「幸福な家族」(原研吉監督)のスチル写真です。左から、槇芙佐子さん、朝霧鏡子さん、三浦光子さんです。この作品は武者小路実篤(1885-1976)さん作の同名小説が原作です。主人公は野菜の絵ばかり書く老ドイツ語教師(配役は斎藤達夫さん)という作者本人を彷彿させる人物で、彼の周辺の暖かくてユーモラスな家族を描いています。

映画スチル?「静かなる晩餐」

静かなる晩餐

 「静かなる晩餐」と裏書きされているので、映画スチル写真のようですが、調べてもそのような作品はヒットしません。後ろが木暮実千代さんで手前が三浦光子さんのようですが、そのような映画が存在したのか改題されているのか良くわかりませんでした。お二人の年格好から戦前〜戦中の物だとは思いますが。

絵葉書「東京横濱市及其の近傍の郵便局と名所スタンプ」(1934)

名所スタンプ

 1934(昭和9)年の東京横浜近郊主要郵便局の名所絵入りスタンプの一覧です。戦前からこういうサービスはあったのですね。北から城東、浅草、九段、下谷、東京中央、青山、大森、東京中央(羽田)、川崎、浅間丸、(判読不明)丸、鎌倉長谷、鎌倉、江之島、第一艦隊、横須賀、浦賀の各郵便局のスタンプです。太平洋航路の船内郵便局や艦隊内の郵便局などが時代を感じさせます。

映画スチル「東京の風俗」(1941)

東京の風俗

 1941(昭和16)年公開の松竹映画「東京の風俗」(渋谷実監督)のスチル写真です。のれんをかき分けているのが木暮実千代さんです。映画の詳細は不明です。原作は西宮順という方になっていますがこの方の詳細も不明です。

絵葉書「(横濱名所)歡樂の巷伊勢佐木町通り」(1941)

伊勢佐木町

 1941(昭和16)年発行の横浜名所絵葉書より、「歡樂の巷伊勢佐木町通り」です。現在の伊勢佐木町1丁目交差点から馬車道方向を望んでいます。右手の不二家ビルのみ現在も残っています。左手の松屋百貨店伊勢佐木店は後に左手奥の松坂屋横浜店に譲渡されましたが、松坂屋横浜店閉店後、JRAのエクセル伊勢佐木となっています。左手手前の斎藤洋服店は現在ユニクロ伊勢佐木店となっています。

映画スチル「何處へ」(1941)

何處へ

 1941(昭和16)年公開の松竹映画「何處へ」(佐々木康監督)のスチル写真で、主演の若水絹子(1907-1968)さんです。この映画は1939(昭和14)年に発表された石坂洋次郎(1900-1986)さんの同名小説が原作です。なお、その後何度もリメイクされています。

絵葉書「(横濱名所)精氣溢る山下公園の風光」(1941)

山下公園

 1941(昭和16)年発行の横浜名所絵葉書より、「精氣溢る山下公園の風光」です。山下公園から海岸通越しにホテルニューグランドを望んでいます。ホテルニューグランドは震災後廃業したグランドホテルを惜しみ、横浜市などが出資して国際ホテルとして1927(昭和2)年に再興した物です。絵葉書の渡辺仁氏の設計による本館は現在でも使用されており、老舗のクラシックホテルとしての風格を今に残しています。

映画宣伝チラシ「初陣」(1933)

初陣

 1933(昭和8)年公開の松竹映画「初陣」(冬島泰三監督)の宣伝チラシです。林敏夫(1915-1945)さんの映画初出演にして主演第一作ということで歌舞伎界総バックアップの感です。林さんは祖父が初代中村鴈治郎、父が二代目林又一郎の長男として1915(大正4)年に生まれました。1933(昭和8)年に松竹に入社しましたが、1937(昭和12)年公開の「蒙古襲来」出演を最後に松竹を退社し京都の島津製作所の社員となります。妻は女優の北見礼子さんで、1942(昭和17)年に俳優の林与一さんが生まれますが、1944(昭和19)年に陸軍に召集され終戦の二日前1945(昭和20)年8月13日に満州で戦死しました。

映画スチル「春の旋風」(1940)

春の旋風

 1940(昭和15)年公開の松竹映画「春の旋風」(蛭川伊勢夫監督)のスチル写真です。主演は上下とも左端の川崎弘子さんです。写真上右は佐分利信(1909-1982)さん。佐分利さんは1930(昭和5)年に日活に入社、その後1935(昭和10)年に松竹に移籍し、上原謙さん、佐野周二さんと松竹三羽烏として人気俳優となりました。

イワノフ作、黒田辰男訳「装甲列車No.14,69・附パルチザン」(1930)

装甲列車

 1930(昭和5)年にマルクス書房から刊行されたイワノフ作、黒田辰男訳「装甲列車No.14,69/附パルチザン」です。イワーノフ"Vsevolod Vyacheslavovich Ivanov"(1895-1963)氏はソビエト連邦最初の作家の一人で、訳者の黒田辰男(1902-1992)氏はロシア文学者で駐日ソ連大使館勤務後、1946(昭和21)年から早稲田大学教授になりました。この時代はプロレタリア文学が流行し、ソ連の革命後の文学も多數翻訳され刊行されましたが、その後その多くが発行禁止になりました。

映画スチル「大阪五人娘」(1941)

大阪五人娘

 1941(昭和16)年公開の松竹映画「大阪五人娘」(笠井輝二監督)のスチル写真です。五人娘を国友和歌子さん、槇芙佐子さん、北見礼子さん、日暮里子さん、大原英子さんが演じています。上手前が槇芙佐子さん、下が河津清三郎さんと北見礼子さんだと思います。

絵葉書「(横濱名所)民國情調濃厚なる支那街(山下町)」(1941)

横濱中華街

 1941(昭和16)年発行の横浜名所絵葉書より「民國情調濃厚なる支那街(山下町)」です。言わずと知れた横浜中華街の戦前の姿です。民国とは中華民国のことですが、ここでは蒋介石ではなく汪兆銘政権の方でしょう。1937(昭和12)年に始まった日華事変の影響で相当数の華僑が帰国して閉店した店も多かったそうです。当時は南京町と呼ばれることも多かったようです。

はり絵「花言葉」中原淳一

花言葉はり絵

 中原淳一さん作のはり絵「花言葉」です。1940(昭和15)年に開店した雑貨店「ひまわり」の商品だと思われます。分割してのり付けしてシールとして使う物のようです。人気があったようで、この後、第二集、第三集と続けて出版されています。

映画スチル「寝顔」(1941)

寝顔

 1941(昭和16)年公開の松竹映画「寝顔」(瑞穂春海監督)のスチル写真です。この映画は当時人気の漫才師だったリーガル千太万吉主演のコメディー映画です。写真上右がリーガル千太さん、写真下真ん中が岡村文子さんです。岡村文子(1898-1976)さんは長野高等女学校を卒業後、1917(大正6)年に浅草オペラで芸能界に入り、1921(大正10)年から松竹映画に出演しています。喜劇的な役から後年は老け役で存在感を示しました。「愛染かつら」の看護婦長役としても有名です。

はり絵「花言葉」タトウ:中原淳一

花言葉タトウ

 中原淳一さん作のはり絵「花言葉」のタトウ(外袋)です。絵柄は戦前ですので、1940(昭和15)年に開店した雑貨店「ひまわり」の商品だと思われます。中身はいずれご紹介したいと思います。裏側に納税済みの判子も押してあります。

映画スチル「暖流」(1939)

暖流

 以前紹介した、1939(昭和14)年公開の松竹映画「暖流」(吉村公三郎監督)のスチル写真です。主演で病院長の娘役の高峰三枝子さんと、その婚約者役の徳大寺伸さんです。この作品は封切られた時はそれほどの人気でもなかったのですが、だんだんと人気が高まり、高潔な令嬢の高峰三枝子派と純情で庶民的な水戸光子派に分れて論争したほどだそうです。この作品は吉村監督と水戸光子さんの出世作となりました。

慰問エハガキ:中原淳一(1942)

中原淳一

 1942(昭和17=皇紀2602)年のサインのある中原淳一さん作の絵葉書第三弾です。丸髷に着物姿の少女像です。時局的に実際このような格好はしづらくなっていたとは思いますが、せめて絵葉書の中だけでもということなのでしょうか。

映画スチル「結婚青書」(1940)

結婚青書

 1940(昭和15)年公開の松竹映画「結婚青書」(瑞穂春海監督)のスチル写真です。写真上左主演女優の桑野通子さんは相変わらずお美しい。写真下左の主演男優は夏川大二郎さん。この映画は北町一郎(1907-1990)さんの同名小説が原作です。監督の瑞穂春海(1911-1995)さんは1934(昭和9)年に東京帝国大学を卒業後松竹に入社し、1940(昭和15)年に監督に昇進したばかりでした。戦後に一連の美空ひばり主演映画を監督しています。

永井荷風著「つゆのあとさき」(1931)

つゆのあとさき

 1931(昭和6)年発行の永井荷風著「つゆのあとさき」(中央公論社刊)です。永井荷風(1879-1959)さんのカフェー時代と呼ばれる震災後の大正末から昭和初期にかけての連作集です。カフェーの女給を主人公に昭和初期の雰囲気を濃厚に感じさせる作品です。この頃の本の特徴として検閲による伏せ字も沢山ありますが、削られた文字は思想ではなくエロ描写の方です。

映画スチル「日本の妻」(1939)

日本の妻

 1939(昭和14)年公開の松竹映画「日本の妻」(佐々木啓祐監督)のスチル写真です。上の写真は主演の高倉彰さんと川崎弘子さんです。高倉彰さんは本名が越谷達之助(1909-1982)さんで、戦後は青山学院で音楽教官をしながら作曲家や伴奏家として活躍されました。高倉さんは1931(昭和6)年に東京音楽学校を卒業後、和歌山師範学校の教官をしていましたが、この映画で松竹から俳優デビューし、1946(昭和21)年まで俳優として活動していました。「日本の妻」は竹田敏彦(1891-1961)さんの同名小説が原作の松竹オールスターキャスト作品です。

絵葉書「(横濱名所)静々と海の女王出帆の光景」(1941)

横浜出港風景

 1941(昭和16)年発行の横浜名所絵葉書より「静々と海の女王出帆の光景」です。3本煙突のレトロな客船が出航するのを眺める人々です。ちなみに1940(昭和15)年に要塞地帯が横浜市内まで拡大され、このような絵葉書にも、一々検閲許可が必要になり、横浜港で船をバックに記念写真を撮ろう物なら憲兵に拘引されても文句は言えませんでした。

慰問エハガキ:中原淳一(1942)

慰問エハガキ:中原淳一(1942)

 1942(昭和17=皇紀2602)年のサインのある中原淳一さん作の絵葉書です。洋服姿の少女の横顔です。日米開戦後にまだこのような図柄が売られていたのですね。ただ当時の写真などを見ても銀座辺りではまだ洋服でパーマの女性が歩いていたようです。

映画スチル「美しき隣人」(1940)

美しき隣人

 1940(昭和15)年公開の松竹映画「美しき隣人」(大庭秀雄監督)のスチル写真です。写真上は主演の水戸光子さんと三浦光子さん、下は主題歌「高原の乙女」を歌う松島詩子さん(ドレスの人物)と三浦光子さん達です。松島詩子(1905-1996)さんは山口県の高等女学校を出た後、女学校の音楽教師をしていましたが、歌手になりたくて1932(昭和7)年に上京。1937(昭和12)年に「マロニエの木陰」が大ヒットし人気歌手になり、戦後は紅白歌合戦の常連でした。

慰問エハガキ:中原淳一(1942)

中原淳一

 1942(昭和17=皇紀2602)年のサインのある中原淳一さんの慰問エハガキです。1940(昭和15)年に軍部ににらまれて雑誌「少女の友」をおろされた中原さんは、同年自分のデザインしたグッズを販売する雑貨店「ひまわり」を開店し、この絵葉書はそのお店の商品だったようです。軍人を慰問するための商品としておけば時局に沿わない作品でも販売できたのでしょう。

映画スチル「櫻の國」(1941)

桜の国

 1941(昭和16)年公開の松竹映画「櫻の國」(渋谷実監督)のスチル写真です。上の写真はDCー3から降り立つ上原謙さんと高峰三枝子さんを迎える笠智衆さんです。下の写真は水戸光子さんと高峰三枝子さんです。原作は太田(大田表記もあり)洋子(1906-1963)さんの同名小説で、1940(昭和15)年の朝日新聞一万円懸賞小説に一等入選した作品です。太田洋子さんはこの後広島で原爆に遭い、戦後は原爆作家として有名になった方です。

少女倶樂部賞繪葉書「短所矯正同盟」田中比左良畫(1928)

短所矯正同盟

 1928(昭和3)年に少女倶樂部に連載されていた佐々木邦(1883-1964)氏作のユーモア小説の挿絵を田中比左良(1891-1974)氏が描いた物です。これは少女倶樂部賞当選繪葉書で、当時連載されていた五大小説の挿絵がセットになった物です。昭和初期ですが女学生のスカートが相当短いような気がします。当時の佐々木氏の小説には田中氏の挿絵と装幀のセットが多かったようです。

映画スチル「凱歌の蔭に」(1934)

凱歌の蔭に

 1934(昭和9)年公開の松竹映画「凱歌の蔭に」(佐々木恒次郎監督)のスチル写真です。写真は主演の逢初夢子さんと江川宇礼雄さんです。江川宇礼雄(1902-1970)さんはドイツ人とのハーフで横浜では大変な不良少年だったようです。1920(大正9)年に高輪学園を卒業後、監督志望で映画界に入りますが不遇が続き、1931(昭和6)年に松竹に俳優として入社しました。その後日活、東宝、新東宝と移籍し、戦後まで俳優として活躍しました。
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