絵葉書「愉快な遊覧バスと明朗なガイド」

青バス

 戦前の東京土産の絵葉書から、「愉快な遊覧バスと明朗なガイド」です。戦前の東京は通称「青バス」と呼ばれた定期遊覧観光バスが盛んに走っていました。このバスは東京遊覧乗合自動車のものですが、戦中の中断の後、戦後「はとバス」に再編されます。バスの車輪に付いている泥を掻き落す棒が当時の道路状況を物語っています。文章も付いていますので、採録。
「大變御待たせ致しました/皆様、ようこそ帝都を御訪問下さいました/今日の御遊覧は私が御伴させて頂きます/では此れから發車いたします」
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旧相互無尽會社ビル

相互無尽会社ビル

 東京の神保町交差点近くにある旧相互無尽会社ビルです。1930(昭和5)年に安藤組により竣工した鉄筋コンクリート製です。外壁のスクラッチタイルと直線的で控えめな装飾がいかにもアールデコの時代を感じさせます。この辺りは戦災を免れたせいか、時々こういった古い建物に出くわします。年々減り続けてはいますが...一つくらいは残しておいてほしい物です。

女優「高峰秀子」

高峰秀子

 昭和の日本映画を代表する大女優、高峰秀子(1924-2010)さんです。写真はまだ10代の可愛い「デコちゃん」ですが、映画デビューは1929(昭和4)年、5才の頃ですので既にベテランです。これはおそらく松竹から東宝に移籍した1937(昭和12)年より少し後でしょうか。子役時代から人気スターでしたが、戦前から女優として、また戦後はさらに映画監督やエッセイストとしても成功し、素晴らしいマルチタレントでした。この時代の悩みや葛藤はご自身のエッセイなどに詳しく紹介されておりますので、一読をお勧めいたします。

絵葉書「丸の内ビルヂング」

丸ビル

 戦前の東京土産の絵葉書より「丸の内ビルヂング」です。1923(大正12)年竣工半年後に関東大震災で被災しましたが、外壁や内装の修理で数年後に再開されました。「東洋一」をうたった日本最初の近代的オフィスビルにして、最大の建造物でした。ここにサラリーマンとして勤めることが一つのステイタスで、以前にご紹介した映画「非常線の女」でも丸ビルにタイピストとして勤める女性を田中絹代が演じています。昭和モダンを体現した立派なビルでしたが、建築学会の保存要望にもかかわらず1999年に取り壊され現在の高層ビルになりました。

絵葉書「東京髙等工藝學校」(1924)

東京高等工芸学校

 何とも昭和モダン構成主義的な学校紹介絵葉書6点です。1921(大正10)年創立の東京高等工芸学校の1924(大正13)年の開校式における記念絵葉書です。学校紹介でありながら構成主義的な図案に写真のコラージュとまさにバウハウス的。この時は現在の東京都港区芝浦にあったのですが、空襲で松戸市に学校ごと疎開、その後の学制改革で千葉大学工学部となったという意外な歴史を持っています。

小津安二郎紹介展示(古石場文化センター)

小津安二郎

 東京都江東区の古石場文化センターにある、以前ご紹介した映画監督、小津安二郎(1903-1963)氏の紹介展示常設コーナーです。小津監督は現在の江東区深川出身なのでその関係でこのような常設展示コーナーがあるのでしょう。生誕100年を記念して設置されました。その関係からか古石場文化センターでは古い日本映画の上映会をよく開いています。1923(大正12)年に松竹に入社し、兵役による中断を含めながら戦前戦後を通して1927年から1962年の間に54作品の監督作を残しました(その内17作品は現存していません)。その独特の小津調は国際的に高い評価を得ています。

女優「及川道子」

及川道子

 大正末から昭和初期に舞台や映画で活躍した女優の及川道子(1911-1938)さんです。見ての通り清楚で知的なキャラクターでインテリ学生に熱烈なファンが多くいたそうです。東京音楽学校出身。1924(大正13)年に小山内薫の築地小劇場で女優デビュー、1929(昭和4)年に松竹入社、清水宏監督「不壊の白珠」で映画デビューし、たちまちスターになり多くの映画に主演しましたが、肺結核にかかり1938(昭和13)年に27才の若さで亡くなってしまいました。文字通り美人薄命で大変惜しまれます。

湘南電鐵「觀梅のたより」パンフレット(1933)

湘南電鉄梅

 湘南電鉄(現在の京浜急行横浜駅以南)の観梅パンフレットです。京浜急行の沿線は梅の名所が多かったようです。いつ頃のパンフレットか推理してみると、湘南電鉄と京浜電鉄が接続して相互乗り入れ運転をしているので1931(昭和6)年12月以降、京浜電鉄の始発が品川駅ではなく、高輪駅になっていることから、1933(昭和8)年4月以前ということになります。つまりこのパンフレットは1932年か1933年のシーズンのための物であることがわかります。裏面の案内文も付けておきます。
「観梅のたより/三春の行楽は先づ探梅から…/庭先の日陰の残雪が、何時消ゆることもなく消え、軟かい土肌を破って可愛い若草の萌芽、/早南枝の梅花数輪、/小鳥の声も朗かに湘南の地一帯は暖かい春が訪れました。/ほゝ笑まんばかりの陽光、微風、百花に魁けて梅花の馥郁たる香気は三浦半島一面に漂ふて居ります!/初春の郊外、御家族連れ探梅をかねての御散策、御清遊には史蹟に富み風光明媚の当社沿線へ…。」

絵葉書「銀ブラ人種/柳・ビル・気球」

銀ブラ絵葉書

 昭和初期の銀座風景を描いた東京土産の絵葉書です。当時は女性の洋装が珍しかったので、それだけで東京のモダンさを強調できたのでしょう。それぞれキャプションが付いていますので、転記しておきます。左から、
「柳・ビル・気球:昔恋しい銀座の柳も今は銀杏が続々と植えられてホンニ昔恋しい懐かしい銀座の柳である、その柳の梢の上に現代のシンボル広告気球がフワリと浮く様になった。」
「銀ブラ人種:銀ブラ人種とは主として大東京及び其近郊に住居しモダン振りを見たり見せたりして銀座をブラブラと漫歩する人々を云ふのだそうである。」

「今和次郎 採集講義」展(パナソニック電工汐留ミュージアム)

今和次郎展

 パナソニック電工汐留ミュージアムで開かれている、「今和次郎 採集講義」展に行ってきました。今和次郎は以前に著書を紹介いたしましたが、まさにその著書を中心とした回顧展です。今和次郎(1888-1973)は青森県弘前市出身、東京美術学校を卒業後、早稲田大学で教鞭をとりました。昭和初期にダイナミックに変化していく東京の街の様子を採集、分析(考現学)したことで有名です。他にも柳田国男らと行った民家研究にも重要な足跡を残しています。ちなみに表記のチラシには1925年の銀座の服装調査結果の図が書かれているのですが、当時は女性の洋装が1%と大変少ないことが意外でした。

女優「桑野通子」

桑野通子

 昭和戦前期に大活躍した女優の桑野通子(1915-1946)さんです。高等女学校卒業後、森永のキャンペーンガールを経て赤坂のダンスホール「フロリダ」でダンサーをしていたところ、1934(昭和9)年に松竹にスカウトされ、清水宏監督の「金環食」でデビュー。その後、清水宏、小津安二郎、島津保次郎、野村浩将、溝口健二作品などに次々と出演、人気女優となりました。戦後すぐに子宮外妊娠で31才の若さで亡くなってしまい、大変惜しまれます。

川端康成「浅草紅團」(1930)

浅草紅団

 1930(昭和5)年に先進社から刊行された、川端康成著「浅草紅團」です。装丁は前にもご紹介した吉田謙吉で、いかにも昭和モダンなすてきなデザインです。80年前の本にしては綺麗すぎるのは戦後の復刻版だからです(状態の良い本物は高くて買えません)。浅草紅団というのは浅草を根城にしている不良グループの名前で、当時著者が盛んに出入りしていた、浅草のカジノフォーリーなどの風俗が活写されています。話の方は残念ながら、途中で連載が打ち切られたということもあり、尻切れとんぼのような印象を受けてしまいますが、まだ新進作家だった川端康成の「新感覚派」時代の雰囲気は十分つかめると思います。

「村山知義の宇宙」展(神奈川県立近代美術館葉山館)

村山知義

 神奈川県立近代美術館葉山館で開催されている、「村山知義の宇宙」展に行ってきました。昭和モダン好きには避けて通れない村山知義(1901-1977)氏の周辺を中心とした展覧会です。とにかくそのマルチタレントぶりがはじけていることがわかります。絵画、舞台美術、舞踏、演劇脚本、小説、ポスター、装丁、etc...ドイツ留学から帰国したとたんに爆発したかのような創作活動にはとにかく驚かされます。彼は昭和戦前期の創作界を代表する一つの象徴だと思います。3月25日まで。

「藤牧義夫」展(神奈川県立近代美術館)

藤牧義夫

 神奈川県立近代美術館本館で3/25まで開催されている「生誕100年 藤牧義夫展−モダン都市の光と影」に行ってきました。藤牧義夫氏は1929(昭和4)年に上京し、1935(昭和10)年に24才の若さで失踪するまでのわずかな期間に、主に版画で活動した画家です。昭和初期のモダンな都市風景を鋭い線で表現する独特な画風で、最近再評価が著しい方です。また隅田川の両岸を視点を自由に変えながら連続的に絵巻物に線画で写実的に表現している絵巻物でも有名で、この作品は長大なパノラマ写真を見るような一種異様な作品です。それぞれの作品には独創と才能が感じられ、24才の若さで作品が途切れてしまったことが大変惜しまれます。その後の行方は現在に至まで全く知られず、いったい何があったのでしょうか。

女優「田中絹代」

田中絹代

 戦前戦後を通して活躍した大女優の田中絹代(1909-1977)さんです。さすがの大女優も若い頃は水着姿を披露しております。昭和初期は夏になれば各雑誌がこぞって映画特集、即ち水着姿の人気女優グラビアが売りの特集雑誌を売り出したのです。田中絹代さんは無声映画時代の1924(大正13)年にデビュー、たちまち人気女優になりました。トーキーに変わるときにその下関なまりが危惧されましたが、杞憂でした。1931(昭和6)年、日本最初のトーキー映画「マダムと女房」に主演しています。戦後の活躍は言うまでもありません。

万年カレンダー付き卓上メモ(1930)

卓上メモ

 万年カレンダー付き卓上メモです。商店の広告の付いたごく普通のメモ帳なのですが、万年カレンダーが1930(昭和5)年から1940(昭和15)年までの10年間しか対応していません。正確には十年カレンダー付き卓上メモです。手前にペンを置けるように溝が付いていますし、全体を見易いように斜めになるように作られています。もったいなくて使えませんが、机上のあるいは昔の家には必ずあった電話台上のアクセサリーにちょうど良いと思います。

広告マッチラベル「花王石鹸」

花王

 マッチのラベルに印刷された花王石鹸の広告です。いかにもプロレタリア美術っぽい労働者の図案です。戦前の花王石鹸の広告部には1930(昭和5)年まだ売れる前の木村伊兵衛(写真家)氏も働いており、彼をスカウトした広告部長の太田英茂氏、いや太田氏をプロヂューサーに据えて新装花王石鹸を企画した二代目長瀬富郎社長の慧眼でしょうか。このデザインは「労働者の石鹸」をアピールしています。図柄から言って昭和一桁に流行った感じですが。

映画「非常線の女」小津安二郎監督作品(1933)

非常線の女

 1933(昭和8)年公開の松竹映画「非常線の女」より、赤坂のダンスホール「フロリダ」でのダンサーのテスト風景だそうです。この映画は小津安二郎監督、田中絹代主演の無声映画で、昼間はタイピスト、夜はギャングの情婦という田中絹代の違和感が面白い。当時の最先端モダン都市生活を見ることができます。ちなみに今でもDVDは手に入ります。このスチル写真に配信記事が付いていたので全文を転載します。
【松竹では春の新作「非常線の女」を撮影中だがその一シーンに登場すべき眉目型美はしのダンサー五六名を是非懇望したいと赤坂のフロリダに申入れたので二十四日午前十一時同ホールで大掛りなテストをやつた、松竹側からは大谷社長、城戸所長、田中絹代ナンテ幹部所から下回りまで總出動、フロリダでも百六十名の美姫中から選り抜きの綺麗ところを集めて津田支配人初め大童だ
寫眞は
 一、銀幕に上映されるダンサーのテスト】

兌換紙幣と不換紙幣

お札

 旧日本銀行券です。左上が1930(昭和5)年発行開始の(丙)拾円券、右上が1942(昭和17)年発行開始の(い)五円券、左下が1943(昭和18)年発行開始の(い)拾円券、右下が1943(昭和18)年発行開始の(ろ)五円券です。上段と下段の違いは、金貨との引き換えを保証した文言のあるなしです。戦争中の1942年に兌換制度がなくなり、日本は完全に管理通貨制度に移行しました。ちなみに左下の十円札に付いている証紙は戦後の新円切り替え時に、新円の印刷が間に合わず、証紙を旧札に貼って代用した跡です。

バウハウスのデスクライト

BuR2700

 1920年代、ドイツを中心に流行したバウハウススタイルのデスクランプです。バウハウスはドイツの建築デザイン学校で、そこでデザインされた工業製品はKAISER社などから製品化されています。これはドイツ製ですが、おそらく1930年代に作られた違う会社の製品です。全く現代の新製品と言っても通るほどのモダンデザインを90年前に実現している感覚はすごい。

Zeiss-Ikon SuperNettel

スーパーネッテル

 ツァイスイコン社製カメラ、スーパーネッテルです。コンタックスの廉価版という感じで、コンタックIIのボディにスーパーイコンタの蛇腹を付けた感じのカメラです。とはいえ、シャッタースピードは1/1000秒まであり、遜色ありません。レンズは交換できないTriotar(f=3.5)5cmがついていますが、Tessarの物もあったそうです。1934(昭和9)年発売ということは、コンタックスIIよりも二年早いので、こちらの方が元になっているようです。スプリングカメラとはいえ、通常の135フィルムを使えるので気軽に使えます。

日本放送協會(東京)ラヂオ聴取章

ラジオ聴取票

 日本放送協会(NHK)東京放送局のラジオ聴取章です。似たような所謂「受信料シール」は現在も玄関先に貼られていますが、戦前は「無線電信法」により、ラジオの受信は許可制であり、放送する方も聴取する方も政府による統制を受けていました。とはいえ、戦前のラジオ組み立て本等を見ても受信に関する法的な説明が一切なく、海外のラジオ局の周波数表なども付いていることから、それほど厳密に取り締まっていた訳ではないようです。

ラッパ型スピーカー(山中製作所製)

スピーカー

 ホーン型のスピーカーです。東芝系列の山中製作所製で、このダイヤモンドというブランドのスピーカーは1925(大正14)年に販売開始しています。なお1930年代には紙コーンのスピーカーが主流になるので、昭和一桁の製品でしょう。基部にダイナミック型スピーカーと同じ仕組みの振動板が設置されており、その音をラッパで増幅するしくみです。アルミ製ホーンの優美なカーブが美しい製品です。購入時は全く無傷だったのですが、東日本大震災で台から落下し、縁にへこみができてしまいました。

現代大衆文学全集「円本」

円本

 昭和初期には「円本」と呼ばれた文学全集が流行りました。一冊一円の函付きハードカバー文学全集が爆発的に売れたのです。当時の一円は現在の1500円〜2000円程度の感覚でしょうか。これにより、文学の大衆化が一気に進んだとも言われています。写真は戦前の探偵小説の大家「江戸川乱歩」「甲賀三郎」「小酒井不木」の巻です。江戸川乱歩の巻は昭和二年発行ですが、これ一冊でそれまでに発表された全ての乱歩作品が収録されているとのことで大変お得?な感じです。円本は発行部数も多いせいか古本屋でも結構安く買うことができますし、状態の良い物が多いと思います。旧仮名遣いで当時の作品を読むのもまた楽しいと思います。

Zeiss-Ikon Kolibri

Kolibri

 ドイツのツァイスイコン社製カメラのコリブリです。1930(昭和5)年発売開始で、レンズは沈胴式Tessar 5cm開放f=3.5で、シャッター速度〜1/300です。コンパクトで使い勝手が良さそうなカメラではありますが、フィルムが今はほとんど生産されていない127ロールフィルムを使用します。一応ヨーロッパの一部で作られている物が入手でき(自作もできます)、現像や焼き付けも一部のラボでは対応していますので、使用不可能ではありません。

真空管式の縦型ラジオ

縦型ラジオ

 真空管式のラジオです。形状は1935(昭和10)年前後に流行った縦型のキャビネットで、真空管4本を使った所謂並四ラジオです。全くメーカー名がないこと、中身が木製のシャーシであることなどから、町の電気屋さんや好事家の手作りラジオである可能性があります。当時は自作する方も多かったので、このようなキャビネットだけでも売っていたそうです。写真の機械は通電可能ですが発振が激しく、かすかに感度はありますが、実用には巨大なアンテナが必要かと思われます。戦前のラジオのデザインの主流は、ラッパ型のスピーカーが別に付く平型から、上部が丸いダルマ型、ここで紹介したアメリカで流行っていた縦型を経て、スピーカー部とダイヤル部が横に並んだ横長のデザインに落ち着きます。日本のラジオ放送の開始は1925(大正14)年ですので、昭和初期のラジオはまさに昭和モダンな最新のコミュニケーションツールなわけです。

レコードキャビネット

レコードキャビネット

 SPレコード用のキャビネットです。かなりの数のレコードアルバムが収納できるように見えますが、CDに換算したら20枚程度に収まる分量です。作られた時期ですが、中を調べたら、公定価格の証書が貼付けてありました。それによると東京府の公定価格ですので、物価統制が始まった1938(昭和13)年から、都制が敷かれた1943(昭和18)年の間に販売された物でしょう。SPレコードはこのように横置きしないと反ってしまうのと、積み上げすぎると自重でやはり変形してしまうので、このようなキャビネットは必須です。

Super Ikonta 530/2 (Zeiss-Ikon)

SuperIkonta

 ドイツのツァイスイコン社製、Super Ikonta 530/2です。120ロールフィルムを6x9cm版で使用する所謂中判カメラです。レンズはTessar 10.5cmで開放f=4.5、シャッタースピードは1/400までで、フォーカス連動距離計付きです。このタイプの蛇腹式カメラはバネ仕掛けのスイッチ一つで折り畳まれた状態から撮影可能状態に設定されるため、スプリングカメラとも呼ばれています。スプリングカメラに距離計が付いた最初の物ではないでしょうか。1934(昭和9)年製です。8枚撮りですが、6x4.5cm枠を設置することにより、マクロで二倍の16枚撮ることもできます。さすがに6x9版ともなると大変描写が細かく、トリミングして引き延ばしても問題ありません。ただ、使用する120フィルムはまだ現役ですが、いつまで供給されるか不安です。

腕時計(オメガ社製)

腕時計

 スイスの代表的な時計メーカーのオメガ社製機械式腕時計です。シリアルナンバーから1939(昭和14)年製だと思われます。秒針が小さく別になっていることからスモールセコンドという形式です。ゼンマイの手巻き式で、一回巻き切ると二日弱動きます。ステンレス製ですが、防水、防磁、防振いずれもされていないので、それなりに扱いには気をつけます。状態は大変良いですが、アフターケアのしっかりした専門店で購入しても、元値を考えたらかなりリーズナブルな値段で買えると思います。こういう古い物を実用で使っていると、とても嬉しい気分になります。

壁掛け温度計

温度計

 壁掛け式の温度計です。店名や商品名を入れた温度計をお得意様に配るということは、昔良くやられていました。ここで書かれた住所に注目すると、東京市神田區とありますので、都制施行(1943年)より前の旧表記になっております。おそらく昭和初期の物でしょう。表記の住所は神田駅の近くですが、現在は空き地になっているようです。表示される温度はおおむね正常なので実用的にも問題ありません。
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