今和次郎・吉田謙吉著「考現学採集:モデルノロヂオ」(1931)
壁スイッチ(リプロダクト品)
自動電話機と電鈴
旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)
Zeiss-Ikon Contax I

ドイツのツァイスイコン社製、コンタックスI型カメラです。1932年(昭和7年)から1938年(昭和13年)まで販売されました。これは1933年製です。35mmフィルムを使ったライカの成功を受け、ツァイスイコン社が送り出した当時世界最先端カメラで、シャッタースピードが1/2〜1/1000という当時としては破格のスペック、バヨネットマウント式ですばやく交換できるレンズ、ラインナップに開放f=1.5の明るいレンズと、今見ても通用する性能です。この写真についているレンズ(Tessar)は開放f=8と暗いですが、焦点距離2.8cmと当時としては超広角レンズで、私はこのレンズの描写が大好きでよく使っています。ツァイスイコン社は経営不振に堕ちいったドイツの大手カメラメーカー4社をツァイスが主導して1926年に合併再編した当時世界最大のカメラメーカーです。当時の日本は輸入カメラに高関税をかけていたこともあり、このコンタックスI型カメラは今の金銭感覚にして100万円以上の超高級カメラで、とても庶民の手が出る物ではありませんでした。
林房雄「都會双曲線」(1930)

林房雄(1903-1975)の所謂プロレタリア小説集です。表題作の他にいくつかの短編からなります。1930年(昭和5年)1月刊で、装丁は村山知義。面白いのは著者あとがきに、治安維持法により二年間禁固が決まり、これから収監されると書いてあるのです。共産党に資金援助した疑いとのことですが、二年後彼は転向を表明して釈放され、その後は国策に沿った活動を行い、戦後公職追放されたりします。さらに面白いのは彼は戦後この転向を撤回せず、民族派の論客として、「大東亜戦争肯定論」等を発表したりするのです。治安維持法施行まで様々な分野の芸術作品を彩ったプロレタリア活動は丁度昭和モダンの時期と一致した流行?の一つで、時代を語る上で無視することはできません。
電笠
柱時計
蓄音機(HMV-157)

フロアー型のイギリスHMV社製蓄音機(HMV-157)です。1930年(昭和5年)頃に作られた製品です。78回転のSPレコードが再生でき、横のハンドルを回してゼンマイを巻くと、ほぼ両面聴くことができます。でも両面で8分弱ですが。全く電気が使われていないので停電でも聴くことができます。再生してみると意外と音が大きく、夜中は聴けません。さらに片面毎に鉄製の針を使い捨てるのであまりエコではありません(笑)。針などの消耗品は現代でも製造されており、ゼンマイも新品からデッドストックのオリジナルまで結構在庫があるようです。修理も購入店でできました。モノラルでダイナミックレンジは狭く、針の摺音も大きいですが、何と言うかアナログの「血の通った」音がします。確かに生きた人間がそこで楽器を演奏している臨場感を感じることができます。気のせいかもしれませんが。
九段下ビル(今川小路共同建築)
昭和モダンとは(付:昭和初期の文化住宅)

昭和モダンとは、Wikipediaによれば1920年(大正9年)以降の、和洋折衷の近代市民文化のことです。この世界的なアールデコの流行を取り込んだ独自なレトロフューチャーな雰囲気が私は大好きです。戦前というと一緒くたに暗い世相をイメージされる方も多いと思いますが、調べてみると少なくとも都市部は意外と明るくてモダンな消費文化が花開いていたようです。写真は千葉市内で撮った所謂文化住宅です。昭和初期に一戸建てを持てるようなサラリーマン(当時はエリート層)の間で流行った、和風の住宅に洋風の応接間がくっついている今思えば不思議な形式です。
今後折に触れ、こんなガジェットを脈絡なく貼付けていきたいと思います。