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雑誌記事「それぞれ由來を持つてゐる土地の名」(1917)

土地の由来1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より、「それぞれ由來を持つてゐる土地の名」(吉田東伍)です。吉田東伍(1864-1918)さんは新潟の豪農の子として生まれ、吉田家の養子となりました。学校中退後、小学校教員などを経て様々な史学の論文を投稿し、読売新聞社を経て早稲田大学の教授となりました。
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雑誌記事「向島の秋色」(1915)

向島の秋色1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)内の記事より「向島の秋色」(和田古江)です。編集者男三人で震災前の東京ルポルタージュです。

雑誌記事「葡萄園」(1915)

葡萄園1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)内の記事より「葡萄園」です。茨城県牛久にある神谷シャトーの葡萄園です。遠くにシャトーカミヤ本館が見えます。とても日本の風景には見えません。明治末にこの農園が完成した時は驚かれたでしょうね。

雑誌記事「提燈と釣鐘」(1915)

提灯と釣鐘1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)内の記事より「提燈と釣鐘」です。奇妙な取り合わせですが、提灯は浅草寺仁王門の大提灯、釣鐘は横浜市鶴見区にある総持寺のものです。仁王門は戦災で焼失して再建され宝蔵門と名前を変えました。当時雷門は仮設の物しかなく大提灯もありませんでした。

雑誌記事「二重橋」(1915)

二重橋1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)内の記事より「二重橋」です。現在(1915年!)の整備された二重橋と明治初期の同じ視点の写真とを見比べています。考えて見るとまだ明治になって五十年経っていないのです。下の写真は人力車と電柱があるので幕末ではなく明治になってからです。
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