雑誌記事「ソ聯空軍の對支援助暴露記」(1938)

ソ連空軍の対支援助暴露記1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事より「ソ聯空軍の對支援助暴露記」です。ドムニンなるソ連軍中尉が執筆しています。挿絵は霜野二一彦さんです。中国上空で撃墜され捕虜になったようです。当時は中国軍側に義勇兵と称して米ソ独などの支援部隊が派遣されていました。目的の一つは兵器の実験でしょうか。意外なのは同盟関係になる前のドイツ軍は中国国民党軍を支援しており、中国軍の精鋭部隊はドイツ軍と同様の装備でした。
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雑誌記事「最近の旅客・軍用飛行機」(1936)

最近の旅客・軍用飛行機1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の記事より「最近の旅客・軍用飛行機」(岡村美彦著)です。岡村美彦さんは当時川崎造船飛行機工場(現:川崎重工)所属の飛行機エンジン開発担当の技術者です。写真は右上が米国製のダグラスD.C.2"Douglas DC-2"、左上がフランス製のコードロン・テイフォン"Caudron C.640 Typhon"、中央正面の単発機が米国製のバルテイ"Vultee V-1"、中右がフランス製のアミオM一四三"Amiot 143"、下右がまだ建設中の金門橋上空を飛ぶ米国製のマルチン飛行艇チヤイナ・クリパー"Martin M-130"、下左がドイツ製のハインケルH.111"Heinkel He 111"です。

雑誌記事「羽田ハイキング」(1936)

羽田ハイキング1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の記事より「羽田ハイキング」です。当時の羽田空港の様子で、写真上の飛行機は単発のフォッカースーパーユニバーサルで、日本航空輸送會社の所有と思われます。下は羽田空港のモダンな待合所です。女性達のスカートが長いのはこの頃の流行です。

防空ステッカー(1937)

防空ステッカー

 1937(昭和12)年9月15日から19日まで行われた関東防空演習の際に横浜市が作成したセルロイド製のステッカーです。白く見えるところは透明で透けています。同年4月に防空法が交付され、10月に施行される予定でした。とは言ってもこの法律は防空演習を円滑に行うための法案で、「防空演習法」と揶揄されたりもしました。

絵葉書「世界最新式航空母艦」

空母鳳翔

 世界最初の正規空母(はじめから航空母艦として建造された)として知られる鳳翔の絵葉書ですが、艦名は書いておらず、しかも写真ではなく完成予想図であることから、1922(大正11)年の竣工前後の頃だと思われます。当時の日本海軍はいち早く空母の有用性に目を付けていたようです。ただ飛行機が本当に戦艦の主砲よりも役に立つかどうかは、第二次世界大戦が始まるまで証明できませんでした。この鳳翔は新型の飛行機には対応できず、太平洋戦争末期には戦闘に投入されず、無傷のまま終戦を迎えました。復員船として使用された後、1947(昭和22)年にスクラップとして解体されました。
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