雑誌記事「最近の旅客・軍用飛行機」(1936)

最近の旅客・軍用飛行機1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の記事より「最近の旅客・軍用飛行機」(岡村美彦著)です。岡村美彦さんは当時川崎造船飛行機工場(現:川崎重工)所属の飛行機エンジン開発担当の技術者です。写真は右上が米国製のダグラスD.C.2"Douglas DC-2"、左上がフランス製のコードロン・テイフォン"Caudron C.640 Typhon"、中央正面の単発機が米国製のバルテイ"Vultee V-1"、中右がフランス製のアミオM一四三"Amiot 143"、下右がまだ建設中の金門橋上空を飛ぶ米国製のマルチン飛行艇チヤイナ・クリパー"Martin M-130"、下左がドイツ製のハインケルH.111"Heinkel He 111"です。
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雑誌記事「羽田ハイキング」(1936)

羽田ハイキング1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の記事より「羽田ハイキング」です。当時の羽田空港の様子で、写真上の飛行機は単発のフォッカースーパーユニバーサルで、日本航空輸送會社の所有と思われます。下は羽田空港のモダンな待合所です。女性達のスカートが長いのはこの頃の流行です。

防空ステッカー(1937)

防空ステッカー

 1937(昭和12)年9月15日から19日まで行われた関東防空演習の際に横浜市が作成したセルロイド製のステッカーです。白く見えるところは透明で透けています。同年4月に防空法が交付され、10月に施行される予定でした。とは言ってもこの法律は防空演習を円滑に行うための法案で、「防空演習法」と揶揄されたりもしました。

絵葉書「世界最新式航空母艦」

空母鳳翔

 世界最初の正規空母(はじめから航空母艦として建造された)として知られる鳳翔の絵葉書ですが、艦名は書いておらず、しかも写真ではなく完成予想図であることから、1922(大正11)年の竣工前後の頃だと思われます。当時の日本海軍はいち早く空母の有用性に目を付けていたようです。ただ飛行機が本当に戦艦の主砲よりも役に立つかどうかは、第二次世界大戦が始まるまで証明できませんでした。この鳳翔は新型の飛行機には対応できず、太平洋戦争末期には戦闘に投入されず、無傷のまま終戦を迎えました。復員船として使用された後、1947(昭和22)年にスクラップとして解体されました。

絵葉書「日本航空輸送會社使用のフォッカーF VII型三發動機付八人乗旅客機」

Focker FVII

 日本航空輸送會社使用のフォッカーF VII型三發動機付八人乗旅客機です。日本航空輸送会社は1928(昭和3)年発足の航空会社で、日本の各都市間や日本の勢力圏内の外地との間の航空路を開設し、1938(昭和13)年にはのべ7万人の乗客を運んだ航空会社ですが、同年に大日本航空が国策によって設立されて吸収されました。写真は羽田飛行場と思われますので、本拠地を立川から羽田に移した1931(昭和6)年から消滅する1938年の間の姿です。フォッカーVII型はオランダのフォッカー社が開発して1925(大正14)年に初飛行した三発8人乗りの旅客機です。巡航速度は170km/hなので新幹線よりも遅いですね。
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