雑誌口繪「灯・佐佐木林風画」(1913)

灯火1911sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)の口絵より「灯」(佐佐木林風画)です。佐佐木林風(1884-1933)さんは新潟県新発田市生まれ、東京美術學校日本畫科を卒業後、帝展などに出品するとともに雑誌の挿絵などを多数手がけました。
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名士動物見立圖「これは誰?清水崑【その4】」(1938)

これは誰?1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内 の記事、名士動物見立圖「これは誰?」(清水崑:作)より、 「(13)軍鶏ー近衛文麿、(14)羚羊ー竹内栖鳳、(15)山猫ー岡譲二、(16)黒鶴ー入江たか子」です。近衛文麿(1891-1945)さんは解説するまでもない総理大臣を三回勤めた政治家です。竹内栖鳳(1864-1942)さんは京都生まれ、京都府畫學校を修了後、同校に勤務しながら創作を続け京都画壇を代表する日本画家となりました。

名士動物見立圖「これは誰?清水崑【その3】」(1938)

これは誰?1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内 の記事、名士動物見立圖「これは誰?」(清水崑:作)より、 「⑨燕ー上原謙、⑩龜ー柳家小さん、(11)兎ー長谷川一夫(林長二郎改め)、(12)白熊ー杉村陽太郎」です。(4代目)柳家小さん(1888-1947)さんは東京麹町生まれ、身体を壊して進学を断念し奉公に出た後、先代小さんに弟子入りして落語家を目指し1928(昭和3)年に4代目小さんを襲名しました。杉村陽太郎(1884-1939)さんは外交官を父として東京に生まれ高等師範附属中學、第一高等學校から東京帝國大學法學部を卒業後、外務省に入省し外交官として活躍、IOC委員なども歴任しました。

名士動物見立圖「これは誰?清水崑【その2】」(1938)

これは誰?1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内 の記事、名士動物見立圖「これは誰?」(清水崑:作)より、 「⑤金魚ー三宅邦子、⑥貂ー丹羽文雄、⑦豹ー双葉山、⑧インコー松井翠聲」です。双葉山定次(1912-1968)さんは大分県宇佐生まれ、家業の手伝いをしていたが地元のアマチュア相撲大会で注目され立浪部屋に入門し頭角を現し横綱となり、今だに破られていない69連勝を成し遂げました。松井翠聲(1900-1973)さんは東京生まれ、早稲田大學を卒業後、外国無声映画の弁士となり、トーキー化後は漫談家、俳優として活躍しました。

名士動物見立圖「これは誰?清水崑【その1】」(1938)

これは誰?1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事、名士動物見立圖「これは誰?」(清水崑:作)より、「①海豹ー鮎川義介、②狆ー勝太郎、③犬ー村社講平、④狸ー木村義雄」です。鮎川義介(1880-1967)さんは山口県生まれ、東京帝國大學工科大學を卒業後、芝浦製作所を経て戸畑鋳物(現在の日立金属)を設立し、その後続々創業して日産コンツェルンを作り上げました。小唄勝太郎(1904-1974)さんは新潟県生まれ、芸者となって上京し小唄が評判となってレコードデビューして人気歌手となりました。村社講平(1905-1998)さんは宮崎県生まれ、宮崎中学でマラソン大会で優勝して注目され、中央大學法學部に進学して在学中にベルリンオリンピック代表や箱根駅伝の選手となり、卒業後は川崎重工業に就職して選手として活躍、陸軍への応召を経て戦後は毎日新聞社に就職してマラソンの発展や後進の育成に努めました。木村義雄(1905-1986)さんは東京本所生まれ、慶應普通部に通いながら将棋の修行に努め15歳で四段(プロ入り)し、多くのタイトルを得て十四世永世名人となりました。
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